チベット原産とされるシーズーは、寺院において飼育され、中国皇帝に貢物として贈られ、チベットと中国間で姻籍関係が結ばれるほどであった。と言われています。
最後にチベットのダライ ラマがシーズーを贈った人物は、西太后だと言われており、長きにわたって紫禁城で飼育されていました。
西太后が亡くなった後、ほとんどの犬が外国人や高官に分け与えられ一般家庭で飼育されるようになった。と言われています。
しかしながら、清朝が崩壊すると中国人はこの犬が海外に持ち出されることを嫌がり殺してしまった。という過去もあるようです。
その後、生き残ったシーズーがイギリス人により3頭持ち出されたのを皮切りに、徐々に海外に出たようです。
当初はラサ アプソと同犬種とみなされていましたが、後にイギリスで別犬種と認められ、さらにペキニーズと交配し今の形が固定されたようです。
一説に、ショーのときシーズーはリボンをし、ラサアプソはりぼんをしないのは、この区別をハッキリさせるためと言われています。
日本で初めてシーズーのクラブが作らてたのは、1972年でその時創立されたのが「東京モダンシーズークラブ」です。
その後シーズーの人気に拍車がかかったと言われています。